地域と共に。。。

そういえば前職は少し大きい会社に居た。
全国に拠点があり、国内全域で転勤があるような会社。
時々北海道から沖縄なんて人も居たし、一部では海外なんて人も。
もちろんそんな会社では(転勤=断れない)っというのは当たり前だった。
そうなってくると、どうしても仕事が一番、自分や家族は二の次となってしまう。

そんなのが嫌になって、思い切って転職をしたのが数年前。

前職とは真逆の街の小さな小さな文房具屋さんへ勤める事となった。

従業員も数える位しかいないし、もちろん転勤はない。
給与明細は手書きだし、給与ははじめ全額現金支給だった。

このタイミングで私は完全に人生の岐路を迎える事となった。

この岐路で一番大変だったのは(家賃)の問題。
前職時代は転勤を繰り返していたので、借り上げ社宅(会社が家賃を殆ど払ってくれる)
だった為、転勤の度に(新築で、1LDKで、二階で、角部屋で、、、、)っと、贅沢な物件に住んでいた。

これが転職後は当たり前の事だが、全額自分で払う事になる。
っが、この大変さを分かっていないその時の自分は、借り上げ社宅の時の感覚で
(新築で、1LDKで、角部屋で、庭付きで、倉庫もあって、駐車場に、、、、)
っと、贅沢な物件に住んでしまったものだから、大変。

収入は半減なのに、家賃は自腹だし、しかも贅沢な物件を選んでしまったものだから、家賃が高い。
って、選んでしまったものだから後にも引けないし、まぁ、頑張るしかないと開き直った。

なーーーんていう他愛のない話はおいといて。

街の小さな文房具屋さんに勤めるようになってからは(地域)というものを意識するようになった。

太鼓連立ち上げにあたっては、まず第一に文房具屋を巻き込もうと思った。
私の熱意が伝わったのか、あるいは理解のある会社なのか、それら全てかもしれないが
企業の太鼓連として桔梗太鼓はスタートをすることができた。

私が入社した時の文房具屋は平均年齢60歳オーバーで会社の中に居れば、私は完全に(子供や孫)
のような存在であったと思う。その頃から会社は次の世代に向かうべく構造改革が始まる。。。
構造改革とは聞こえがいいが、言い換えれば、どんどん定年退職で人が辞めていくってだけ。
そして先日も一人定年退職を迎えた。 
この数年で10人弱の社員の中で5名が退職し5名が新しい顔になった。
気づいたら、私は、意外と先輩な位置づけに。

企業の太鼓連として立ち上がった桔梗太鼓。活動するにはこの地域の色々な方々に相談をして活動をする事ができるようになった。
練習場所も地区の公民館で行う事ができるようになり、社長の奥さんは桔梗太鼓をよろしくお願いしますと
公民館の周辺数軒に菓子折りをもって、挨拶にも行ってくれた。

そしてここからが、やっと本題
先日この地区の文化祭に参加させて頂いた
桔梗としてはまだ力不足もあるので
(中夢楽座withT)で参加

文化祭も目一杯楽しむことができた
見てくれた地域の方々にも少しだけお褒めの言葉を頂けた
来年も必ず出たいと思った

そして夜は宴へ

塩尻産ワインが勢ぞろい

料理もたらふく

楽しむ副代表!!

特別ゲストは松本音楽団の皆さん

この中になんと、私の吹奏楽部時代の同級生が!!!私はこう見えて、吹奏楽部でした

とても充実した一日でした
今回は桔梗太鼓の中の一部しか参加できなかったので
来年はチーム全体で参加するぞぉぉぉぉぉぉ!!!

2018年11月19日