生きた道徳の教科書

この数年。私がこれまで出会う道筋にない方と出会った。
狭間壮さん。はざまゆかさん。高橋卓志さん。

狭間ご夫婦とはコロナ禍に行われた、小さなミニコンサートで出会った。
SNSなどで何となくゆかさんの事を認識はしていたが、出会ってはいなかった。
クラシックに全くご縁の無い私たち太鼓打ちにとってはこのご夫婦に出会えるのは奇跡のようなもの。
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一説に、世界人口は80億人。人生で何らかの接点を持つのは3万人。
学校や仕事などで近い関係になれるのは3千人。会話が出来るのが
300人。友達と呼べるのは30人。親友と呼べるのは3人
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この説をとってみても、今自分たちの周りに居る大切な人たちに出会える確率は
天文学的数値であるという見方と、その上で出会うべき人に必然的に出会った。
という、表現もできる。

狭間先生と出会った小さなコンサート会場。私は一人のお客様として行った。
30人ほどの小さな会場。ここで、私は先生に出会った。2023年4月の出来事。
コンサートの素晴らしさはもう伝えるまでにないとして、この時の不思議な感覚を
私は今でも忘れない。コンサートが終わり、皆さまそそくさと挨拶をされて帰る中私は全く帰る気になれなかった。一番最後まで残り、最後にご挨拶をさせて貰った。温かく包み込まれるように、私の事を受け入れてくれるように感じた。
今日初めて出会った人じゃなく、昔から知っていて、私のとても大切な人に
やっと出会えた。そんな感覚になった。初対面だと口数が少ない私。ろくに会話も出来ずにその場は過ぎたが、やはり私の身体の中なのか心の中なのかに、
先生という存在が大きく残った。 そしてその想いは多分、先生にも伝わって居た
らしく、そのすぐ後に連絡が来て、狭間先生とゆかさんのコンサートのお手伝いをさせて頂ける事になった。しかもなんと、舞台監督という突然の大役!
と、言っても、舞台袖にただ居て、お二人のコンサートを見守るだけの役。
でもこれは大変幸せな大役で、舞台にあがる寸前のお茶目な先生を見れたり、あまりに自由にやりすぎて、ゆかさんに怒られる先生を見れたり、それはそれで、幸せな空間。

お二人の音楽に出会い、私の身体から自然と生まれた言葉が
「生きた道徳の教科書」

人は(生きた年数×経験)というような形で、道徳的人格が形成される。
経験値があまりに少なかったり、あるいはあまりに偏っていたりすると
もしかしたら、それが犯罪や時に、戦争などにも繋がるのかもしれない。

小学生の頃道徳の授業があった。どんな授業だったかはもう忘れてしまったが
「道徳」と書かれた教科書があった事を記憶している。

そして人それぞれ、身体の中に、心の中に、頭の中に、それぞれの形で
道徳的人格が形成されていく。

この個々に培われた道徳の教科書を読み聞かせるのは実に難しい。
よく「人は話し合えば分かり合える」なんてことを耳にする。
これがもし、本当ならば、戦争なんてものがそもそも起こるはずがない。

「話し合えば分かり合える」ある一定のところまではこの理屈が通じるかも知れない。
けれど、その先にどうしても、分かり合えない時がある。この場合。
饒舌で声を大にして上手に喋れる人が一方的に相手を言い包めて分かり合えた錯覚をする事がある。
どこまで来ても分かり合えない事は必ずある。
その時に自分と相手は考え方が全く違うんだ。真逆の考えもあるのだ。だとしたらばどのようにすればいいのか?相手の考え方も尊重し、どうすればお互いの考えや想いがが共存出来るのか考えるのが大切だと思う。

先生は、それはそれは、分厚い素晴らしい道徳の教科書を毎日毎日息をしながら培ってきていると思う。
問題なのはこの分厚い道徳の教科書を人に伝えていくこと。ただ教科書を読むように、人に伝えたところで、人には何も伝わらない。私が一生懸命勉強をして、人に戦争の事を伝えたとして、何も響かないと思う。しかし、先生とゆかさんが僅か一曲、「一本の鉛筆」を唄ってくださるだけで、先生の80年分の道徳の教科書を学ぶことができる。

道徳とは本を読んで学ぶものではない
人から人へ伝え行くもの。

狭間壮さん、高橋卓志さんには、どんな手を使ってでも、一日でも多く生きてもらいた。
一日でも多く生きて、一人でも多くの方に出会ってほしいと思う

私が作ったかもしれない、造語。
「生きた道徳の教科書」
お二人に会いたい

2024年11月09日